前回このファイテイング日誌を読まれたかたは、もしかしたら「母屋と下屋くらいのことでなにを大げさな、」と思われたかもしれません。
たしかに母屋と下屋(現代町家ではこれを「ベースとゲヤ」と呼ぶのですが)というのはいかにも地味な話で、我ながら気が引けるのですけれど、でもこれは「町のでき方」を考えると、そうバカにしたものでもありません。近代建築の歴史は単体の家のつくり方については多くのことを教えましたが、家が「並ぶ」ということに関しては、ちゃんとした回答を、いまだに与えてくれていないからです。そのことをぼくは、ル・コルビュジェの描いたスケッチで実感したのでした。
何年ごろに描かれたものかは不明ですが、自分の建築家としての設計遍歴を、ル・コルビュジェはこんなスケッチをつかって説明しています。
1はいくつかのボリュームをくっつけて建築をつくるやり方で、(横のメモ書きには「どっちかというと簡単」とあります)これは「連結型」です。
それにたいして「すっごく難しい」とあるのが2で、これはワンボックスの箱のなかにすべての機能を収めてしまうやり方ですね。箱のなかをいくつかの空間に分割しながら構成していくわけですから、これは「分割型」。
で、次ぎの3と4は、うえの1と2を合体するやり方です。つまり2の「分割型」のなかに1の「連結型」を埋め込んでしまう。
よく知られたコルビュジェの「ドミノ」は3で、もっと有名な「サヴォア邸」は4のやり方です。メモ書きには、3は「とっても簡単」、4は「とっても巧妙」とあって、ぼくはつい笑ってしまいました。(だって3の「ドミノ」はいまや旭化成のヘーベルハウスに化けていて、「とっても簡単」かつ「普遍的な解」であることを立証したんですから。)
たしかに建築のプランニングというのは、大きく分ければ1の「連結型」か、2の「分割型」しかないのかもしれません。たとえばフランク・ロイド・ライトは連結型ですし、ミースは分割型です。
で、このふたつの型を合体したプランを展開したのがコルビュジェだと考えると、なんとこれで近代建築の三大巨匠が出そろってしまう!
さてしかし、いま考えようとしているのはちょっと別のことです。
ぼくは学生時代にドキドキしながらこの設計遍歴を読み解いたのですが、いま、冷静に上に示された四つのプラン原理を見ていて気がつくのは、それらがどれも、あまり環境のプレッシャーが高くない場所、つまり広大な敷地に建つ「ヴィラ」(邸宅)の形式だということです。そこではナカはソトに左右されません。
では逆に環境から強いプレッシャーを受ける場所、敷地が細分化され、隣家が迫り、ソトがナカを強く圧迫してくる場所では、ぼくら設計者はどう振る舞えばよいか?
じつは、それを考えるヒントも、やはりコルビュジェがうえで示した四つの原理にありそうだと思ったのが、彼のスケッチから話をはじめた理由でした。
ル・コルビュジェは大建築家でしたから、小さな敷地に無理に家をつくる必要なんかなかった。そういう場合は集合住宅(マルセイユのユニテ・ダビタシオンみたいな)にすればよいと考えていたわけです。「単体の建築はヴィラで、群のほうは集合住宅として都市計画で考えればよい」、というのが彼の立場でした。
でもそれだと、いまの設計者たるぼくらはとても困る。小さな敷地で仕事をするときに、「隣との関係は都市計画で決めてね」なんていわれたらお手上げです。建築から都市計画へとジャンプするのではなくて、単体の建築をつくることがそのまま群をつくることにフラットにつながった考え方が要る。つまり群をなすことが遺伝子のように組み込まれた建築の考え方が必要です。
というわけで、試しにコルビュジェのスケッチを「ぎりぎりの敷地」のなかに置いてみることにしました。
四つのプラン形をそれぞれぎりぎりの敷地に置いて、敷地と建物のネガポジを反転するとこうなります。
「なんてことをするんだ」と叱られそうですけれど、でもこうやって狭い敷地に置いてみると、ル・コルビュジェの「純粋建築」がなんだかぐっと身近な「町場の建築」に感じられてきませんか。
こうしてみると、1は日本の町を埋め尽くしている「南面L型配置」の庭付き一戸建て住宅にそっくり。4はコートハウス。では2と3は何でしょう。
ぼくはこれが日本の70年代にあらわれた「都市住宅」、つまり「ソトにはなにも期待しない」住宅のプラン形だと思うのです。(安藤忠雄の名作「住吉の長屋」は2ですし、原広司の一連の「反射性住居」は3でしょう。)
浜松で現代町家の仕事をすることになったとき、うえのようなことを延々と考えていました。
前回書いたように、与えられた敷地は南道路で間口約8メートル、奥行き18メートルの短冊形です。都内ほどではないにしても二階建ての隣家が真近に迫っていて、環境のプレッシャーはかなり高い。したがって1のタイプ(前回の「薩摩町家」もこのタイプでした)はそのままでは使えません。とはいえ2のタイプもなんだかイヤでした。なにしろ「ナカとソトは同時に解決されなくてはいけない」のですから。
むろんこの仕事でも前回からの課題、「母屋と下屋(ベースとゲヤ)を組み合わせて多様なソトをつくる」というのは引き継いでいるわけです。
で、最初につくったのはこんな案でした。
細長い敷地(およそ45坪です)に小さな箱(ベース)をばらまいて、全体が村みたいになるような家を考えていました。そうすると箱と箱の間にさまざまなソトを抱き込むことができます。でも残念ながら、この案は建て主の賛同を得られませんでした。きっと、ゴチャゴチャして見えたんだと思います。
ただし、まったくダメということではなくて、家のなかに小さく絞ったソトを取り込むという考えには興味をもっていただけたようです。依頼者は夫婦だけのふたり暮らし。子供はいません。「釣りと植物が好き、植物といっしょに暮らしたい」という言葉が印象に残りました。
ならば植物といっしょに暮らせる、ナカだかソトだか分からないような場所をつくったらどうか?
そんなことを漠然と考えながら、ぼくは最初の「ベースとゲヤ」に戻って考え直すことにしました。
本来、ベースとゲヤ(母屋と下屋)の組み合わせというのは、比較的敷地に余裕のある「戸建て住宅」に多いやり方です。南の庭を、コートハウスほどは閉鎖的にならずに、ベースとゲヤでゆるーく囲むわけですね。
でもこのやり方(つまりコルビュジェのスケッチ1)は、敷地が小割りになるにつれてリアリテイーを失っていきます。隣家に迫られて庭が機能しなくなりますから。かといってスケッチ2のように、ソトを閉ざしてナカに私的に閉じ籠るというのもなんかヘン。
たぶん1と2を合体したような「建ち方」(@塚本由晴)がいまの町には必要なんでしょう。
ならば、4ならどうか?うーん、コートハウス。これはどういうわけか日本の町には根づきませんでした。歴史がその風土に残さなかったからには、きっとそれなりの理由があります。で、これは却下。じゃ3はどうでしょう。
じつはこのタイプについては、なんだかよく分からないのです。
無理矢理に言葉にしてみれば、3の「ドミノ」タイプはこういうことでしょう。まず均等なグリッド間隔で柱を置く。次に、必要に応じてグリッドのなかを部屋で埋めていき、いらないところはソトにしてしまう。つまり構造体がプランニングに先行している‥‥‥あれ、こう言ってみて気がついたのですが、このやり方は(かたちはぜんぜん違いますが)前に「ファイテイング日誌・その3」で見た文化年間の「江戸期の町家」と、仕組みがどこか似ているんじゃないでしょうか。
しかしあんまり先走ってもいけません。いまは早くスケッチをつくって次ぎなる提案をしないと仕事を失っちゃいます。そこで深夜べったりと机に張り付いて、ぼくはこんなふうに案をつくり直しました。
こんどのは前よりサッパリしています。道路側を車のために空けるのは前とおんなじ。ただし残った土地に、小さなベースをばらまくんじゃなくて、4メートル幅の細長いベースを一つだけ片側に寄せて置き、残りを空けました。
全体としてみれば、これは敷地を長手に沿ってふたつの細長いゾーンに分けたかたちです。その一方のゾーンにカーポートとベース(家の主要部)を置く。そうすると残りのゾーンは幅4メートル、奥行き18メートルの細長い空地になる。ここにゲヤを置くことで、残った細長い空地全体を、家と庭が合体したような場所にできないか。
いまのところ右隣は空き地です。でもすぐに家が建ちそうな気配でした。せっかく敷地の半分を空けて庭にしても隣家からモロに覗かれてしまいますから、真ん中ぐらいの位置に目隠し代わりのゲヤを置くことにしました。
このゲヤは、隣地に向かって半透明の壁を立ち上げた、天井の高い土間です。ここは玄関でもあり、植物といっしょに暮らす場所でもあり、半分ソトみたいな空間になるわけですが、これを道路側の前庭と奥の小さな庭でサンドイッチすると、前庭→土間→奥庭とつづく、細長いソトの連続体ができます。プラン形に直すとこんなふう。
幸い、こんどの案は気に入っていただけました。ほとんど変更なしで工事に入り、でき上がった姿は、道路側から見るとこうです。昼の姿と夜の姿を並べてご覧ください。格子の奥に土間があって、奥の小さな庭につながっていきます。
さて、こうして浜松でやった仕事を振り返ってみると、自分ではベースとゲヤによる「連結型」をやっていたつもりが、じつは敷地のなかに設定したゾーンをベースとゲヤで埋めていくという、むしろ「分割型」に近いことをやっていたんですね。
つまりベースとゲヤを自由に連結していくというよりも、敷地のなかの分割ゾーンを建物で埋めていくという、枠のなかの埋込作業をやっていたわけです。
ではこの「枠」は、いったい何なのか?
それを考えるために、もういちど浜松のプラン形を見ていただきましょう。ただしこんどはプラン形に「敷地のゾーン分け」を重ねてみます。まず最初の提案(A)、建て主の賛同を得られなかった案のほうはこうです。
つぎの提案(B)、実施案のほうはこうなります。
これを見ると、Aは敷地の3層分割、Bは2層分割になっています。この層分けが、ベースとゲヤを置いていくための見えない「枠」になっているわけですが、どうしてこんな枠を考えたのか?
たぶんぼくはその枠を、ナカとソト、つまり人工と自然を切り混ぜるための「刻み目」みたいに考えていたんだと思います。
短冊形の敷地の場合、どうしても大きなワンボリュームの箱をドーンと置いて、ソトはその箱をえぐりとるようなかたち(坪庭や中庭ですね)になりがちです。でもそのやり方は、コートハウスが根づかず、またかつての町家のように隣家と壁を共有する習慣が失われたいまの日本の町には合わない。それよりもむしろ、敷地全体にナカとソトが切り混ぜられた状態をつくるのがよいのではないか。
図Aをご覧ください。建物と庭が、ちょうどトランプのカードをシャッフルしたみたいに切り混ぜられています。図Bではそれが、もっとシンプルな切り混ぜ方になっている。
つまりぼくは、敷地全体を家として考えながら、それをワンボリュームの箱で覆わずに、いくつかの建物(ナカ)と空地(ソト)がシャッフルされた状態をつくろうとしていたのでした。その手がかりになっていたのが敷地の層分けです。
ところでこの「層分け」というのは、(当たり前のことですけれど)過去の建築のなかにいくらでも先例があるんですよね。
先に見ていただいたル・コルビュジェのスケッチ3(ドミノ)ではそれが「均等な柱グリッド」になって現れるわけですし、また、むかしの町家では「通り土間と居室の並列2層構造」としてそれが現れます。(お気づきかと思いますが、浜松のBは、じつはこの「町家の並列2層構造」とおなじ形式なのです。)
白状しますと、そのことに話をつなげようとして、この節の小見出しをぼくは「ドミノと町家」としたのでした。
でもそれだと、どうやら話があんまり理屈っぽくなってしまいそうです。だから(これについてはいつかまた別なかたちでお話しすることにして)、いまはもうすこしさし迫った話をしましょう。
世の中にはなんとも不思議な巡り合わせというのがあるものです。じつはこの回を書いている真っ最中に、こんな緊急指令が飛び込んできました。
「広島県のある町に、三軒の現代町家を並べてつくれ」
なんということでしょう。この指令はつまり、「ここで考えたことを現場でやってみろ」ということではありませんか。
冒頭でぼくは「近代建築の歴史は『単体の建築』のつくり方については多くのことを教えたけれど、家が『並ぶ』ということについてはちゃんとした回答を与えてくれなかった」と書きました。
そこで、浜松でやった仕事を例にあげながら、ぼくは「群をなすことが遺伝子のように組み込まれた家」の在りかたをここまで考えてきたわけです。
ところが‥‥‥神様というのはまことにエライ。ぼくはため息をついてしまいました。
だって、こんどの仕事は三軒とはいえ「町並み」です。つまり「浜松で考えたやり方で、ほんとうに町並ができるのか?」が問われているわけです。ほら、ちゃんと話がつながっているではありませんか。
この神様の指令にぼくはどう答えたか?
おお、なんだかこのファイテイング日誌も、ようやく「ファイテイング」状態になってきたようです。ボクシングの実況中継みたいにエキサイテイングな「設計作業中継」をお届けしてみたい。次回をどうぞお楽しみに。