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	<title>現代町家</title>
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	<description>ルール化された設計と、地域の因子を活かしてたてる、現代の町家。</description>
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		<title>その5 -ル・コルビュジェ先生から町について学ぶ</title>
		<link>http://gendaimachiya.jp/2012/04/fight05/</link>
		<comments>http://gendaimachiya.jp/2012/04/fight05/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 09 Apr 2012 05:58:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[建築家 趙海光の「現代町家ファイティング日誌」]]></category>

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		<description><![CDATA[近代建築の歴史は単体の家のつくり方については多くのことを教えましたが、家が「並ぶ」ということに関しては、ちゃんとした回答を、いまだに与えてくれていないからです。そのことをぼくは、ル・コルビュジェの描いたスケッチで実感したのでした。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>前回このファイテイング日誌を読まれたかたは、もしかしたら「母屋と下屋くらいのことでなにを大げさな、」と思われたかもしれません。<br />
たしかに母屋と下屋(現代町家ではこれを「ベースとゲヤ」と呼ぶのですが)というのはいかにも地味な話で、我ながら気が引けるのですけれど、でもこれは「町のでき方」を考えると、そうバカにしたものでもありません。近代建築の歴史は単体の家のつくり方については多くのことを教えましたが、家が「並ぶ」ということに関しては、ちゃんとした回答を、いまだに与えてくれていないからです。そのことをぼくは、ル・コルビュジェの描いたスケッチで実感したのでした。</p>
<h4>ル・コルビュジェの教え</h4>
<p>何年ごろに描かれたものかは不明ですが、自分の建築家としての設計遍歴を、ル・コルビュジェは<span class="noteLink1">こんなスケッチ</span>をつかって説明しています。</p>
<div id="attachment_1240" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/04/01-04corbusier-sketch.jpg" alt="ル・コルビュジェの手描きスケッチ「四つのコンポジション」" title="ル・コルビュジェの手描きスケッチ「四つのコンポジション」" width="450" height="374" class="size-full wp-image-1240" /><p class="wp-caption-text">ル・コルビュジェの手描きスケッチ「四つのコンポジション」</p></div>
<p>1はいくつかのボリュームをくっつけて建築をつくるやり方で、(横のメモ書きには「どっちかというと簡単」とあります)これは「連結型」です。<br />
それにたいして「すっごく難しい」とあるのが2で、これはワンボックスの箱のなかにすべての機能を収めてしまうやり方ですね。箱のなかをいくつかの空間に分割しながら構成していくわけですから、これは「分割型」。<br />
で、次ぎの3と4は、うえの1と2を合体するやり方です。つまり2の「分割型」のなかに1の「連結型」を埋め込んでしまう。<br />
よく知られたコルビュジェの「ドミノ」は3で、もっと有名な「サヴォア邸」は4のやり方です。メモ書きには、3は「とっても簡単」、4は「とっても巧妙」とあって、ぼくはつい笑ってしまいました。(だって3の「ドミノ」はいまや旭化成のヘーベルハウスに化けていて、「とっても簡単」かつ「普遍的な解」であることを立証したんですから。)<br />
たしかに建築のプランニングというのは、大きく分ければ1の「連結型」か、2の「分割型」しかないのかもしれません。たとえば<span class="noteLink2">フランク・ロイド・ライト</span>は連結型ですし、<span class="noteLink3">ミース</span>は分割型です。<br />
で、このふたつの型を合体したプランを展開したのがコルビュジェだと考えると、なんとこれで近代建築の三大巨匠が出そろってしまう!<br />
さてしかし、いま考えようとしているのはちょっと別のことです。<br />
ぼくは学生時代にドキドキしながらこの設計遍歴を読み解いたのですが、いま、冷静に上に示された四つのプラン原理を見ていて気がつくのは、それらがどれも、あまり環境のプレッシャーが高くない場所、つまり広大な敷地に建つ「ヴィラ」(邸宅)の形式だということです。そこではナカはソトに左右されません。<br />
では逆に環境から強いプレッシャーを受ける場所、敷地が細分化され、隣家が迫り、ソトがナカを強く圧迫してくる場所では、ぼくら設計者はどう振る舞えばよいか?<br />
じつは、それを考えるヒントも、やはりコルビュジェがうえで示した四つの原理にありそうだと思ったのが、彼のスケッチから話をはじめた理由でした。</p>
<h4>町場の建築</h4>
<p>ル・コルビュジェは大建築家でしたから、小さな敷地に無理に家をつくる必要なんかなかった。そういう場合は集合住宅(マルセイユのユニテ・ダビタシオンみたいな)にすればよいと考えていたわけです。「単体の建築はヴィラで、群のほうは集合住宅として都市計画で考えればよい」、というのが彼の立場でした。<br />
でもそれだと、いまの設計者たるぼくらはとても困る。小さな敷地で仕事をするときに、「隣との関係は都市計画で決めてね」なんていわれたらお手上げです。建築から都市計画へとジャンプするのではなくて、単体の建築をつくることがそのまま群をつくることにフラットにつながった考え方が要る。つまり群をなすことが遺伝子のように組み込まれた建築の考え方が必要です。<br />
というわけで、試しにコルビュジェのスケッチを「ぎりぎりの敷地」のなかに置いてみることにしました。<br />
四つのプラン形をそれぞれぎりぎりの敷地に置いて、敷地と建物のネガポジを反転するとこうなります。</p>
<div id="attachment_1242" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/04/01-04composition.gif" alt="「四つのコンポジション」をぎりぎりの敷地に置いた場合" title="「四つのコンポジション」をぎりぎりの敷地に置いた場合" width="450" height="345" class="size-full wp-image-1242" /><p class="wp-caption-text">「四つのコンポジション」をぎりぎりの敷地に置いた場合</p></div>
<p>「なんてことをするんだ」と叱られそうですけれど、でもこうやって狭い敷地に置いてみると、ル・コルビュジェの「純粋建築」がなんだかぐっと身近な「町場の建築」に感じられてきませんか。<br />
こうしてみると、1は日本の町を埋め尽くしている「南面L型配置」の庭付き一戸建て住宅にそっくり。4はコートハウス。では2と3は何でしょう。<br />
ぼくはこれが日本の70年代にあらわれた<span class="noteLink4">「都市住宅」</span>、つまり「ソトにはなにも期待しない」住宅のプラン形だと思うのです。(安藤忠雄の名作「住吉の長屋」は2ですし、原広司の一連の「反射性住居」は3でしょう。)</p>
<p>浜松で現代町家の仕事をすることになったとき、うえのようなことを延々と考えていました。<br />
前回書いたように、与えられた敷地は南道路で間口約8メートル、奥行き18メートルの短冊形です。都内ほどではないにしても二階建ての隣家が真近に迫っていて、環境のプレッシャーはかなり高い。したがって1のタイプ(前回の「薩摩町家」もこのタイプでした)はそのままでは使えません。とはいえ2のタイプもなんだかイヤでした。なにしろ「ナカとソトは同時に解決されなくてはいけない」のですから。<br />
むろんこの仕事でも前回からの課題、「母屋と下屋(ベースとゲヤ)を組み合わせて多様なソトをつくる」というのは引き継いでいるわけです。<br />
で、最初につくったのはこんな案でした。</p>
<div id="attachment_1267" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><a href="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/04/01-04plan00_b.gif" rel="lightbox"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/04/01-04plan00.gif" alt="濱松町家 初期案" title="濱松町家 初期案" width="450" height="301" class="size-full wp-image-1267" /></a><p class="wp-caption-text">濱松町家 初期案（クリックで拡大）</p></div>
<p>細長い敷地(およそ45坪です)に小さな箱(ベース)をばらまいて、全体が村みたいになるような家を考えていました。そうすると箱と箱の間にさまざまなソトを抱き込むことができます。でも残念ながら、この案は建て主の賛同を得られませんでした。きっと、ゴチャゴチャして見えたんだと思います。<br />
ただし、まったくダメということではなくて、家のなかに小さく絞ったソトを取り込むという考えには興味をもっていただけたようです。依頼者は夫婦だけのふたり暮らし。子供はいません。「釣りと植物が好き、植物といっしょに暮らしたい」という言葉が印象に残りました。<br />
ならば植物といっしょに暮らせる、ナカだかソトだか分からないような場所をつくったらどうか?<br />
そんなことを漠然と考えながら、ぼくは最初の「ベースとゲヤ」に戻って考え直すことにしました。</p>
<h4>戸建て住宅と町家</h4>
<p>本来、ベースとゲヤ(母屋と下屋)の組み合わせというのは、比較的敷地に余裕のある「戸建て住宅」に多いやり方です。南の庭を、コートハウスほどは閉鎖的にならずに、ベースとゲヤでゆるーく囲むわけですね。<br />
でもこのやり方(つまりコルビュジェのスケッチ1)は、敷地が小割りになるにつれてリアリテイーを失っていきます。隣家に迫られて庭が機能しなくなりますから。かといってスケッチ2のように、ソトを閉ざしてナカに私的に閉じ籠るというのもなんかヘン。</p>
<div id="attachment_1244" class="wp-caption aligncenter" style="width: 330px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/04/01-04composition0102.gif" alt="「四つのコンポジション」中、１と２" title="「四つのコンポジション」中、１と２" width="320" height="378" class="size-full wp-image-1244" /><p class="wp-caption-text">「四つのコンポジション」中、１と２</p></div>
<p>たぶん1と2を合体したような「建ち方」(@塚本由晴)がいまの町には必要なんでしょう。<br />
ならば、4ならどうか?うーん、コートハウス。これはどういうわけか日本の町には根づきませんでした。歴史がその風土に残さなかったからには、きっとそれなりの理由があります。で、これは却下。じゃ3はどうでしょう。</p>
<div id="attachment_1245" class="wp-caption aligncenter" style="width: 330px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/04/01-04composition0304.gif" alt="「四つのコンポジション」中、３と４" title="「四つのコンポジション」中、３と４" width="320" height="450" class="size-full wp-image-1245" /><p class="wp-caption-text">「四つのコンポジション」中、３と４</p></div>
<p>じつはこのタイプについては、なんだかよく分からないのです。<br />
無理矢理に言葉にしてみれば、3の「ドミノ」タイプはこういうことでしょう。まず均等なグリッド間隔で柱を置く。次に、必要に応じてグリッドのなかを部屋で埋めていき、いらないところはソトにしてしまう。つまり構造体がプランニングに先行している‥‥‥あれ、こう言ってみて気がついたのですが、このやり方は(かたちはぜんぜん違いますが)前に「ファイテイング日誌・その3」で見た<span class="noteLink5">文化年間の「江戸期の町家」</span>と、仕組みがどこか似ているんじゃないでしょうか。</p>
<p>しかしあんまり先走ってもいけません。いまは早くスケッチをつくって次ぎなる提案をしないと仕事を失っちゃいます。そこで深夜べったりと机に張り付いて、ぼくはこんなふうに案をつくり直しました。</p>
<div id="attachment_1268" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><a href="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/04/01-04plan01_b.gif" rel="lightbox"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/04/01-04plan01.gif" alt="濱松町家 実施案" title="濱松町家 実施案" width="450" height="309" class="size-full wp-image-1268" /></a><p class="wp-caption-text">濱松町家 実施案（クリックで拡大）</p></div>
<p>こんどのは前よりサッパリしています。道路側を車のために空けるのは前とおんなじ。ただし残った土地に、小さなベースをばらまくんじゃなくて、4メートル幅の細長いベースを一つだけ片側に寄せて置き、残りを空けました。<br />
全体としてみれば、これは敷地を長手に沿ってふたつの細長いゾーンに分けたかたちです。その一方のゾーンにカーポートとベース(家の主要部)を置く。そうすると残りのゾーンは幅4メートル、奥行き18メートルの細長い空地になる。ここにゲヤを置くことで、残った細長い空地全体を、家と庭が合体したような場所にできないか。<br />
いまのところ右隣は空き地です。でもすぐに家が建ちそうな気配でした。せっかく敷地の半分を空けて庭にしても隣家からモロに覗かれてしまいますから、真ん中ぐらいの位置に目隠し代わりのゲヤを置くことにしました。<br />
このゲヤは、隣地に向かって半透明の壁を立ち上げた、天井の高い土間です。ここは玄関でもあり、植物といっしょに暮らす場所でもあり、半分ソトみたいな空間になるわけですが、これを道路側の前庭と奥の小さな庭でサンドイッチすると、前庭→土間→奥庭とつづく、細長いソトの連続体ができます。プラン形に直すとこんなふう。</p>
<div id="attachment_1247" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/04/01-04plan02.gif" alt="濱松町家 プラン形" title="濱松町家 プラン形" width="450" height="292" class="size-full wp-image-1247" /><p class="wp-caption-text">濱松町家 プラン形</p></div>
<p>幸い、こんどの案は気に入っていただけました。ほとんど変更なしで工事に入り、でき上がった姿は、道路側から見るとこうです。昼の姿と夜の姿を並べてご覧ください。格子の奥に土間があって、奥の小さな庭につながっていきます。</p>
<div id="attachment_1248" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/04/01-04-hamamatsu01.jpg" alt="濱松町家 正面昼景" title="濱松町家 正面昼景" width="450" height="351" class="size-full wp-image-1248" /><p class="wp-caption-text">濱松町家 正面昼景</p></div>
<div id="attachment_1249" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/04/01-04-hamamatsu02.jpg" alt="濱松町家 正面夜景" title="濱松町家 正面夜景" width="450" height="351" class="size-full wp-image-1249" /><p class="wp-caption-text">濱松町家 正面夜景</p></div><br />
この家のベースとゲヤの関係を見ていただくために、もう一枚写真を追加しましょう。これはベースからゲヤ(土間)を見たシーン。土間の右手が道路につながる前庭、左手が奥庭で、どちらの庭も意識的に塀を低くして、町に開くようなかたちになっています。</p>
<p><div id="attachment_1250" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/04/01-04-hamamatsu03.jpg" alt="濱松町家 内観土間" title="濱松町家 内観土間" width="450" height="349" class="size-full wp-image-1250" /><p class="wp-caption-text">濱松町家 内観土間</p></div>
<h4>ドミノと町家</h4>
<p>さて、こうして浜松でやった仕事を振り返ってみると、自分ではベースとゲヤによる「連結型」をやっていたつもりが、じつは敷地のなかに設定したゾーンをベースとゲヤで埋めていくという、むしろ「分割型」に近いことをやっていたんですね。<br />
つまりベースとゲヤを自由に連結していくというよりも、敷地のなかの分割ゾーンを建物で埋めていくという、枠のなかの埋込作業をやっていたわけです。<br />
ではこの「枠」は、いったい何なのか?<br />
それを考えるために、もういちど浜松のプラン形を見ていただきましょう。ただしこんどはプラン形に「敷地のゾーン分け」を重ねてみます。まず最初の提案(A)、建て主の賛同を得られなかった案のほうはこうです。</p>
<div id="attachment_1253" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/04/01-04plan03.gif" alt="濱松町家 A初期案の層分けプラン形" title="濱松町家 A初期案の層分けプラン形" width="450" height="293" class="size-full wp-image-1253" /><p class="wp-caption-text">濱松町家 A初期案の層分けプラン形</p></div>
<p>つぎの提案(B)、実施案のほうはこうなります。</p>
<div id="attachment_1254" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/04/01-04plan04.gif" alt="濱松町家 B実施案の層分けプラン形" title="濱松町家 B実施案の層分けプラン形" width="450" height="292" class="size-full wp-image-1254" /><p class="wp-caption-text">濱松町家 B実施案の層分けプラン形</p></div>
<p>これを見ると、Aは敷地の3層分割、Bは2層分割になっています。この層分けが、ベースとゲヤを置いていくための見えない「枠」になっているわけですが、どうしてこんな枠を考えたのか?<br />
たぶんぼくはその枠を、ナカとソト、つまり人工と自然を切り混ぜるための「刻み目」みたいに考えていたんだと思います。<br />
短冊形の敷地の場合、どうしても大きなワンボリュームの箱をドーンと置いて、ソトはその箱をえぐりとるようなかたち(坪庭や中庭ですね)になりがちです。でもそのやり方は、コートハウスが根づかず、またかつての町家のように隣家と壁を共有する習慣が失われたいまの日本の町には合わない。それよりもむしろ、敷地全体にナカとソトが切り混ぜられた状態をつくるのがよいのではないか。<br />
図Aをご覧ください。建物と庭が、ちょうどトランプのカードをシャッフルしたみたいに切り混ぜられています。図Bではそれが、もっとシンプルな切り混ぜ方になっている。<br />
つまりぼくは、敷地全体を家として考えながら、それをワンボリュームの箱で覆わずに、いくつかの建物(ナカ)と空地(ソト)がシャッフルされた状態をつくろうとしていたのでした。その手がかりになっていたのが敷地の層分けです。</p>
<p>ところでこの「層分け」というのは、(当たり前のことですけれど)過去の建築のなかにいくらでも先例があるんですよね。<br />
先に見ていただいたル・コルビュジェのスケッチ3(ドミノ)ではそれが「均等な柱グリッド」になって現れるわけですし、また、むかしの町家では「通り土間と居室の並列2層構造」としてそれが現れます。(お気づきかと思いますが、浜松のBは、じつはこの「町家の並列2層構造」とおなじ形式なのです。)<br />
白状しますと、そのことに話をつなげようとして、この節の小見出しをぼくは「ドミノと町家」としたのでした。<br />
でもそれだと、どうやら話があんまり理屈っぽくなってしまいそうです。だから(これについてはいつかまた別なかたちでお話しすることにして)、いまはもうすこしさし迫った話をしましょう。</p>
<h4>神様がくださった指令</h4>
<p>世の中にはなんとも不思議な巡り合わせというのがあるものです。じつはこの回を書いている真っ最中に、こんな緊急指令が飛び込んできました。<br />
「広島県のある町に、三軒の現代町家を並べてつくれ」<br />
なんということでしょう。この指令はつまり、「ここで考えたことを現場でやってみろ」ということではありませんか。<br />
冒頭でぼくは「近代建築の歴史は『単体の建築』のつくり方については多くのことを教えたけれど、家が『並ぶ』ということについてはちゃんとした回答を与えてくれなかった」と書きました。<br />
そこで、浜松でやった仕事を例にあげながら、ぼくは「群をなすことが遺伝子のように組み込まれた家」の在りかたをここまで考えてきたわけです。<br />
ところが‥‥‥神様というのはまことにエライ。ぼくはため息をついてしまいました。<br />
だって、こんどの仕事は三軒とはいえ「町並み」です。つまり「浜松で考えたやり方で、ほんとうに町並ができるのか?」が問われているわけです。ほら、ちゃんと話がつながっているではありませんか。<br />
この神様の指令にぼくはどう答えたか?<br />
おお、なんだかこのファイテイング日誌も、ようやく「ファイテイング」状態になってきたようです。ボクシングの実況中継みたいにエキサイテイングな「設計作業中継」をお届けしてみたい。次回をどうぞお楽しみに。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>「日本各地の現代町家」を更新しました。</title>
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		<pubDate>Fri, 30 Mar 2012 05:04:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュース]]></category>

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		<description><![CDATA[ギャラリーに「薩摩町家」を追加しました。 全国「現代町家」マップに新しい名称を追加しました。 http://gendaimachiya.jp/map/]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ギャラリーに「薩摩町家」を追加しました。<br />
全国「現代町家」マップに新しい名称を追加しました。</p>
<p><a href="http://gendaimachiya.jp/map/">http://gendaimachiya.jp/map/</a></p>
]]></content:encoded>
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		<title>その4 -ナカとソトは同時に解決されなくてはいけない</title>
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		<pubDate>Fri, 30 Mar 2012 02:43:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[建築家 趙海光の「現代町家ファイティング日誌」]]></category>

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		<description><![CDATA[「薩摩町家」「陽向町家」「濱松町家」と、連続して三つの現代町家が完成しています。この三つはみんなかたちが違っています。でも考え方の根っこはみなおなじで、それは「家をつくる決め手がソトにある」という点です。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>三回目のあとすこし間が（なんと半年近くも）空いてしまいました。この間、鹿児島県の姶良という町に「薩摩町家」、その隣町（といっても宮崎県ですが）の都城に「陽向（ひゅうが）町家」、さらに静岡県に飛んで浜松に「濱松町家」と、連続して三つの現代町家が完成しています。</p>
<div id="attachment_1181" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/03/01satsuma-machiya.jpg" alt="薩摩町家" title="薩摩町家" width="450" height="353" class="size-full wp-image-1181" /><p class="wp-caption-text">薩摩町家</p></div><br />
<div id="attachment_1182" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/03/02miyakonojo-machiya.jpg" alt="陽向町家" title="陽向町家" width="450" height="300" class="size-full wp-image-1182" /><p class="wp-caption-text">陽向町家</p></div><br />
<div id="attachment_1183" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/03/03mhamamatsu-machiya.jpg" alt="濱松町家" title="濱松町家" width="450" height="350" class="size-full wp-image-1183" /><p class="wp-caption-text">濱松町家</p></div>
<p>この三つはご覧のように、みんなかたちが違っています。でも考え方の根っこはみなおなじで、それは「家をつくる決め手がソトにある」という点。<br />
「ソト」というのはこれから家が建つその敷地と周囲の様子のことで、ふつうはコンテキスト（文脈）と呼ばれますが、面白いのはその読み方ですね。コンテキストから何を読み取るかはひとによって違う。<br />
たとえば薩摩町家では目の前の敷地から、「二百年くらい前にそこに広がっていただろう原野」をぼくはイメージしたのでした。<br />
姶良（あいら）の町は平坦ですが、土地に微妙な起伏があります。あたりを歩き回ってみて、この起伏が意外に大きく風景を決めていることに気がつきました。わずか２、３メートルの高低差なのに、古い民家はみなその地形のエッジのところに建っていて楠やミカンの木がこんもりと茂り、濃い緑の屋敷森が土地の起伏をそのままなぞっています。<br />
薩摩町家の敷地も微妙な坂に面していました。しかも敷地の奥には用水路があって、そのさらに向こうは野草に覆われた草地。ぼくは思ったのです。「この草地に見習って、古いフィルムを巻き戻すようにかつてここに広がっていただろう原野の地形と植生をこの場所に復活できないか」<br />
結局「薩摩町家」の仕事は、区画分譲で平にされてしまった敷地にもういちど原野の地形と起伏をとりもどす作業になったわけですが、今回はその作業を振り返りながら、現代町家にとっての「敷地」の話しをしましょう。</p>
<h4>家の「建ち方」が教えること</h4>
<p>さて「原野」では大げさすぎますから「原っぱ」ぐらいに言い直しますが、ぼくにとっては、その言葉はこの場所での「家と敷地の関係のしかた」を具体的にイメージさせる言葉でした。<br />
つまり、いま周囲を埋めている近隣の家々とは別の「建ち方」がきっとここにはある。その建ち方にたどり着くにはワンステップ時代を巻き戻して、造成前の状態を思い描いたほうがよい。そう思ったのです。可能性は十分にありました。周囲には造成しきれずに残された草地や水田がまだ広がっていて、むしろその造成地のほうが異物だったのです。<br />
ところで「建ち方」というのはとてもよい言葉です。ぼくはこれを<span class="noteLink1">塚本由晴さんの書いた本</span>で学びました。<br />
塚本さんは「今日、住宅の空間は建物だけではとても定義しきれない環境に置かれている。」と書いたうえで、家の「建ち方」に注目しました。<br />
「配置」ではなくて「建ち方」です。「配置」だと家自体は完結していてその位置だけが問題になるのですが、「建ち方」という言葉は、家とそれが建つ場所との関係のしかた、場所への接続のしかたそのものをイメージさせます。<br />
家は家、ソトはソトとして個別に解決されるのではない。家のナカとソトは別々にではなく、同時に解決されなければならない。その解決のしかたがかたちになったのが「建ち方」なのだ、というのが塚本さんの考えです。たしかに「建ち方」という言葉には、家の平面計画をもういちど環境との関係のしかたまで差し戻す力があるなあと、思いました。<br />
家の平面計画というのはひらたくいえば間取りですが、しかしそれはいま塚本さんがいうように「建物だけではとても定義しきれない環境」にある。これは実感としてわかります。だって隣にどんな家があるか、という条件ひとつで平面計画そのものが変わってしまうのですから。ソトを考えないかぎりナカ（間取り）はできない。ではソトとはなにか？<br />
それは「町」なのだと思います。一軒の家をつくる素材はじつは町のスケールで広がっている。敷地の狭さや広さ、勾配、草、隣家の壁や木々もまた素材なのだと考えると、家を設計することがそのまま町を設計することにつながってきます。そう考えれば「建ち方」という言葉のもつ意味がもっとクリヤーになるでしょう。家と町をつなぎ、町の風景をつくっているのは、個々の家の「建ち方」なのです。</p>
<h4>永田昌民さんのプラン形</h4>
<p>「家のナカとソトは同時に解決されなければならない」と書きました。そういった「建ち方」を示す好例があります。<span class="noteLink2">永田昌民さんが設計した「杉並の家」</span>がそれです。</p>
<div id="attachment_1187" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/03/p01.jpg" alt="永田昌民さんが設計した「杉並の家」配置平面図" title="永田昌民さんが設計した「杉並の家」配置平面図" width="450" height="586" class="size-full wp-image-1187" /><p class="wp-caption-text">杉並の家　配置平面図</p></div>
<p>この家はまことに不思議な建ち方をしていて、メインの庭が北向きです。<br />
その敷地面積およそ４２坪、建物の延べ面積３２坪、一階が居間と和室、二階が寝室というごく当たり前の、さりげない木造住宅なのですが、平面図をよく見ると、この建物が「周りの家とはまるで別の建ち方」をしていることがわかる。つまり周囲の家がみな北の道路側いっぱいに寄って建ち、南にすこしでも多く空地を空けようとしているのにたいして、この家は建物の主要部を敷地の真ん中に置いているのです。<br />
でもそれだけだったら、たぶん見過ごしていたでしょう。この建物が面白いのはそこから先で、南北に残った空地に、設計者の永田さんはゲヤを両端に飛び出させて風車型の平面をつくったのでした。図で示すとこんなふうです。</p>
<div id="attachment_1188" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/03/p02.gif" alt="杉並の家  プラン形" title="杉並の家 プラン形" width="450" height="425" class="size-full wp-image-1188" /><p class="wp-caption-text">杉並の家 プラン形</p></div>
<p>あまり見たことのないプラン形だと思いませんか。（平面図と見比べてください。）メインヴォリュームから下屋が触手のように延びて、風車の羽根みたいでもあり、幹からつる草が生え出たみたいでもあり。<br />
戦後、日本の住宅はさまざまなプラン形を発明しました。入れ子型（阿部勤「私の家」）、親子対面型（宮脇壇「松川ボックス」）、地形転写型（東孝光「塔の家」）、家型（坂本一成「代田の町家」）などなど、切りなくありますが、でも永田さんのはそのどれとも違う。<br />
上に挙げた戦後住宅の場合はみな、プランそのものが強い意味をもっています。「入れ子型」にしろ「家型」にしろ、プラン自体が設計者の世界観の表明になっていて、場所によって変わることはありません。ところが永田さんの風車型プランは、そのプラン形自体には意味がないんですね。ある場所に、たまたま適合したかたちが風車型だったにすぎない。場所が変わればきっと、別のプラン形が生まれるでしょう。<br />
つまり永田さんのプランは、そのかたち自体には意味がなくて、あるのは「母屋と下屋を組み合わせる」という仕組みだけなのだと考えたほうがよい。</p>
<p>このやり方は「凡庸（？）だ」と見なされたために、戦後建築家がだれもやろうとしなかった方法です。なぜ永田さんは、あえてそれをやったのか？<br />
理由はたぶん、永田さんの関心が「ソト」にあったからだと思うのです。上のプランをもういちどご覧ください。つぶさに検討してみると、ここでの母屋と下屋の風車型の組み合わせが、この土地の悪条件からきていることがわかります。<br />
つまり南を二階建ての隣家に塞がれているために、建物をめいっぱい北に寄せても陽の当たる庭は期待できない。そこで建物をむしろ真ん中に置いて南北に空地をとり、北側を「使うための庭」、南側を「採光のための庭」にした（建物南にとられた吹抜けに注目。これは隣家との離れ距離不足を補って上から光をとる工夫です）。さらにもうひとつ、ここが大事なところですが、北には和室、南には書斎を下屋のかたちで飛び出させることで、この南北の庭はアルコーブ（凹み）としての半戸外的な建築性をもちました。<br />
永田さんがやったのは、建築をナカだけの問題として象徴的に解くのではなく、下屋を触手のように場所に這わせることでソトを建築化し、それが同時にナカを建築化していくための手がかりになる、といったやり方です。ナカとソトは同時に解決されなければならない。永田さんはその好例を示しました。この「建ち方」を一般化すると、こう表現できるでしょう。</p>
<p>　１　場所に触手を延ばしていく構造をもつ<br />
　　（母屋が幹で下屋が枝、あるいは触手）<br />
　２　空地を抱き込む構造をもつ<br />
　　（母屋と下屋の間に生まれる余白が建築化されていく）</p>
<h4>「町的なもの」への関心</h4>
<p>永田さんのプラン形が「ソトをナカに手繰り込む構造」をもっていることに気がついたのは、（もうお気づきのことと思いますが）「ミニハウス」のプランを見たせいでした。ご存知のように塚本由晴さん設計の「ミニハウス」は下屋が四方八方に飛び出した矢車型で、永田さんのよりももっと純化されたプラン形になっています。</p>
<div id="attachment_1189" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/03/p03.gif" alt="ミニハウス プラン形" title="ミニハウス プラン形" width="450" height="340" class="size-full wp-image-1189" /><p class="wp-caption-text">ミニハウス プラン形</p></div>
<p>もちろんこれは後先とか影響とかいった話しではなくて、時代の建築家たちの関心が同時多発的にソト、つまり「町的なもの」に向かっている、ということをいいたいわけです。（とはいえ、塚本さんが「ミニハウス」を設計していく過程で「建ち方」という言葉を発見し、家と町を連続的な視点でつないでみせたことの寄与はまことに大きいと思うのですが。）<br />
　「町的なもの」への関心はいま、他にもさまざまなかたちで建築化されはじめていて、たとえば「森山邸」（西沢立衛）などはその代表例でしょう。プラン形はこんなふうです。</p>
<div id="attachment_1190" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/03/p04.gif" alt="森山邸 配置平面図" title="森山邸 配置平面図" width="450" height="328" class="size-full wp-image-1190" /><p class="wp-caption-text">森山邸 配置平面図</p></div>
<p>ここでは、<span class="noteLink3">家</span>がバラバラに分解されています。なんだか家自体が町、あるいは村のようです。ご覧のように部屋が家になり、廊下がソトになり、庭になり、路地のように町につながっていきます。（この離散型というか分棟型のプラン形を、建築史家の藤森照信さんは<span class="noteLink4">「分離派」</span>と命名したのでした。）<br />
かつて<span class="noteLink5">「住居に都市を埋蔵する」というよい言葉</span>がありましたが、この場合はむしろ「家に町を埋蔵する」かたちになっているのですね。<br />
「都市」ではなくて「町」（もしくは「村」）、というのが面白いところです。ここ何十年かの間に、建築のヒロイックな気分（モダニズムのことですが）はすっかり失速してしまいました。その理由をぼくは、人々が「人工的な空間に飽きてしまった」からだと考えています。都市の祝祭性ではなく、たとえば商店街の日常性というか、原っぱの草やメダカの泳ぐ池のような親自然的なものに向かって、人々の関心が組織し直されているのが、いま身の回りに起きている状況なのでしょう。むろん住宅もその例に漏れません。</p>
<p>さて長い前置きでしたけれど、ここでようやく話を現代町家にもどすことができます。<br />
起点は「家と町」でした。家のナカはソトをふくむかたちでしか解決できない。（そうでなくては、ある場所に建っていること自体に意味がなくなるからです。）そしてそのソトの含み方にはいま、「分離／分棟型」（たとえば森山邸）と「連結型」（たとえばミニハウス）というふたつの代表的なプラン形式があるとぼくは考えました。現代町家がそのスタート時点で採用したのはこのうちの「連結型」、つまり母屋と下屋を場所に這わしていく方法です。これを、「薩摩町家」を例にとって具体的に見ていきましょう。</p>
<h4>町と原っぱ</h4>
<p>　「薩摩町家」の平面はこうです。</p>
<div id="attachment_1212" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/03/p05.gif" alt="薩摩町家 配置平面スケッチ" title="薩摩町家 配置平面スケッチ" width="450" height="614" class="size-full wp-image-1212" /><p class="wp-caption-text">薩摩町家 配置平面スケッチ</p></div>
<p>敷地は区画分譲された造成地（およそ６５坪、北道路）ですが、南側の用水路の向こうに残った原っぱが一部使えるという特殊な条件がついていました。この原っぱ（冒頭で書いた「原野」）を造成された敷地に連続させて、敷地全体を造成前の地形にもどせないかと考えたのがスタートです。<br />
そのためにまず、建物のメインボリュームを片側に寄せて、敷地のおよそ半分を空けました。これで北の道路と南の原っぱがつながります。その空いた空地に、メインボリューム（母屋）には収まりきらない不足分を、下屋として這わせていきます。<br />
下屋はなるべく低く、原っぱの連続性を断ち切らないかたちにする必要があります。そこでここでは、残された空地に微妙な高低差（南の原っぱの地形のコピーです）をつけて、その地形のうえに束で浮かせたデッキを置き、デッキをまたぐ渡り廊下のようなかたちで下屋を延ばしました。できあがった姿はこんなふうです。</p>
<div id="attachment_1192" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/03/04satsuma-machiya.jpg" alt="薩摩町家 北道路面" title="薩摩町家 北道路面" width="450" height="353" class="size-full wp-image-1192" /><p class="wp-caption-text">薩摩町家 北道路面</p></div>
<p>ご覧のように塀はありません。原っぱに、ただ家がそのまま建っている感じ。カーポートも野草に覆われた草地です。<br />
このカーポートから掘り出した土を盛って母屋のまわりに土塁をつくって、家の主要部を木立で包みました。塀をつくらずに、高低差と木々の葉のスクリーンで道路とのあいだに距離感をつくるためです。視点を反転してこれを家のなかから見ると、室内と町の風景が木の葉越しにつながっていく様子がわかります。</p>
<div id="attachment_1193" class="wp-caption aligncenter" style="width: 365px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/03/05satsuma-machiya.jpg" alt="薩摩町家 キッチンから道路面を見る" title="薩摩町家 キッチンから道路面を見る" width="355" height="450" class="size-full wp-image-1193" /><p class="wp-caption-text">薩摩町家 キッチンから道路面を見る</p></div>
<p>この仕事で考えたのは、「建物は場所に包まれて建つのだ」という、ごくあたりまえの事実です。<br />
でもその事実はふつう（広大な森があったり崖地だったりすれば別ですが）意識されません。多くの場合、「敷地」は幅と奥行きからできた、ただの「白紙」で、いきおい住宅の設計はソトに頼らず、ナカに独特の世界をつくりだすことに集中しがちです。<br />
けれども、もしも設計の方法が最初から「ナカとソトを噛み合わせる」やり方になっていれば、潜在化した場所の力が表面に出てきて、それがナカを変えることになるのではないかと思いました。<br />
ここではその「噛み合わせる」やり方として、家を単体のボリュームにせずにメインとサブのボリュームに分けて、それをずらすことで間に多様なスキマをつくる方法をとりました。</p>
<div id="attachment_1207" class="wp-caption aligncenter" style="width: 342px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2012/03/p06.gif" alt="薩摩町家 プラン形" title="薩摩町家 プラン形" width="332" height="450" class="size-full wp-image-1207" /><p class="wp-caption-text">薩摩町家 プラン形</p></div>
<p>ふつうはこういう場合、コの字型のコートハウスとか中庭型にすることが多いのですが、それだと庭（ソト）だけが自立してしまいがちです。それよりもむしろ、「母屋と下屋」というありふれたやり方のほうがスキマを生みやすくて、多様なソトをつくりやすい。<br />
「場所に包まれて建つ」には、ひとつのソトではなく、たくさんのソトが必要です。それらを地形のようにつなぎ合わせれば、ネガとポジが反転して（建物がむしろネガになり、スキマのほうがポジになってしまう）町につながった連続的な風景が生まれるのではないかと思いました。</p>
<p>さて、ご覧いただいた「薩摩町家」の敷地はしかし、特殊すぎると思われるかもしれませんね。用水路があったり、その向こうの原っぱが使える、なんて条件はめったにありません。いまはむしろ「小さな敷地のなかにどうやって家をつくるか」が問われるのがふつうでしょう。<br />
だからつぎは、このやり方が小さな敷地にたいしても有効かどうか、を試してみなくてはなりません。<br />
「母屋と下屋を組み合わせて多様なソトをつくる」というやり方は、小さな敷地でも成り立つのか？それを考えるために、こんどは浜松での体験をお話ししようと思うのですが、さすがに今回はもう力が尽きました。<br />
浜松で出会ったのは、道路間口およそ８メートル、奥行き１８メートルという短冊形の敷地です。旧街道に面していながら敷地の細分化が進んで、町並みはすっかり壊れています。原っぱも用水路もありません。そんな、都市と町の中間のような場所に立って考えたことを、次回はお話ししようと思います。</p>
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		<title>その3 -家と町をつなぐもの</title>
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		<pubDate>Fri, 07 Oct 2011 08:02:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[建築家 趙海光の「現代町家ファイティング日誌」]]></category>

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		<description><![CDATA[「庭」という考え方を捨てて、むしろそれを「里山」と考えれば、たしかにそれは「だれかのもの」なのだけれど、でも「だれのものでもなさそうに見える」という都市の風景の本質にまっすぐつながっていくように思えます。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>家のウチとソトとの「さかいめ」の話しでした。そこをどんなふうに生かすべきか。現代町家の核になるテーマですので、もうすこしこの話しを続けましょう。</p>
<h4>過去と現在、ふたつの連続平面図</h4>
<p>現代町家をはじめたころ、ぼくたち（小池一三、村田直子、それにぼくの三人）の興味は「家が建ったあとに残る空地」に集中していました。<br />
家が建ったときには必ず隣地とのあいだに空地が残ります。これは一敷地一建物を大原則とするいまの日本の町の宿命ですが、この宿命はじつは意外に歴史が浅くて、たとえば江戸期の町家にはこういった家と家のあいだの隙間、というか空地は見られません。<br />
ここに文化年間（19世紀初め）の京都、指物町の復元図があります。</p>
<div id="attachment_1128" class="wp-caption aligncenter" style="width: 324px">
<img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2011/10/no01.gif" alt="図-1" title="図-1" width="314" height="500" class="aligncenter size-full wp-image-1128" />
<p class="wp-caption-text"><span class="noteLink1">図-1</span></p>
</div>
<p>この復元図は釜座通りと竹屋町通りが交差する街区を示すものですが、ご覧のように隣地と壁を共有した町家が道路にたいして隙間なく並んでいます。空地は壁に囲まれた中庭や奥庭として現れますから、これはむしろ敷地を壁で囲い込んだローマ時代の都市の街区に似ています。<br />
この復元図を眺めているうちにふと思いつきました。もしもぼくらが考える現代町家の方法をこの街区に当てはめて、その平面図をここにはめ込んだらどういう町並みが現れるか。<br />
で、やってみたのがこの図です。</p>
<div id="attachment_1129" class="wp-caption aligncenter" style="width: 460px">
<img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2011/10/no02.jpg" alt="図−2" title="図−2" width="450" height="443" class="aligncenter size-full wp-image-1156" />
<p class="wp-caption-text"><span class="noteLink2">図-2</span></p>
</div>
<p>通りにたいして右ての街区は文化年間の復元図のまま残し、左ての街区に現代町家のブロック模型をはめ込んで、少し離したところにその平面図を置きました。<br />
敷地境界線はすべて過去の復元図のままです。敷地間口は６〜８メートル。奥行きは１5〜２0メートル。その短冊形の敷地に４、５、６メートル三種類のベース（母屋）を敷地ごとに<span class="noteLink3">シングル、ダブル、ジョイントのかたち</span>で組み合わせて配置し、さまざまタイプのゲヤ（下屋）でつないで連続させたのがご覧の平面図です。</p>
<h4>「空地」がつくる風景</h4>
<p>こういうのは恐れずにやってみるものですね。やってみて初めて気がついたことがたくさんあります。たとえば町のなかで空地がもつ意味。<br />
図面を見ていただくとわかりますが、ぼくらがつくった連続平面図では一軒の家がたくさんの小さな庭、というか空地（図面の緑色の部分）を抱き込んで、それがさらに隣の家の空地へとつながっていく状態が描かれています。<br />
じーっと見ていると、なんだか図と地が反転してくるような錯覚を覚えませんか？<br />
つまり建物のほうがネガで空地のほうがポジに見えてくる。<br />
そう見えるのは家と家とのあいだ、家と道路とのあいだ、そして家の凹みのあいだの空地がみな連続して、つながっているからです。もしかしたら、町の風景をつくるのは、建物自体よりもこの空地のほうなんじゃないかとぼくは思いました。<br />
よく言われるように、日本の町は隙間だらけです。中国でも西欧でも町は壁でできていて、空地は連続する居住ブロック（中国では<span class="noteLink4">「坊」</span>と呼ぶそうです）にえぐられた穴（中庭）ですが、日本の場合はもっとルーズで、むしろ隙間のほうが町の風景を決めている。<br />
ぼくはその「ゆるい」町の風景がとても好き（ぼくの住んでいる目黒近辺がちょうどそんな感じです）なのですが、どうも中国でも近年、かつての密実な都市の壁が壊れ始めているらしい。</p>
<p>中国の町づくりについて、歴史学者の妹尾達彦さんがこう発言しています。タイトルは「壁に囲まれた時代から壁が崩れていく時代へ、そしてこれから」。<br />
妹尾さんによれば「中国は、城壁から民家の壁、各部屋を区切る壁にいたるまで徹底した壁の文化」なのだけれど、「1950年から60年代には城壁を完全に撤去する政策が始」まって、「居住ブロック（坊）の壁自体が住民の手でこわされてゆくことすら」起きている‥‥‥。<br />
「ユーラシア大陸のシルクロードの沿線上の城郭都市も、速度の違いはあれ、住居を囲む壁が崩れていくのは共通」で、その理由を、妹尾さんは「地域共同体が解体して機能集団がつくられる近代社会では、壁が機能的に邪魔になる」からだといっています。（都市住居の普遍と変容・すまいろん65号）<br />
なるほど隙間だらけの日本の町というのも捨てたものじゃない。あのルーズでアナーキーな町のでき方というのはむしろ「近代社会」を先取りした都市の姿だったのかもしれません。<br />
さて話しがすこし飛んでしまいました。中国のようにモノとしての強い壁はもたないけれど、じつは「見えない壁」の圧力にさらされているのがいまの日本の町です。防犯、プライバシー、日照、それらは見えない壁と化していまの町を覆っている。それがいちばん強く出ているのがシャッター付き雨戸でしょう。あれは「密室化」してゆくいまの家の姿を象徴しています。<br />
閉ざす技術だけが肥大して、「家のウチとソトのさかいめ」はいま過度に硬直化し始めています。だから、ただ空地をつくればよいというものではなくて、閉ざした家をもういちど開かせるようなしくみがそこになくてはならないわけですが、ではどうしたらよいか。<br />
現代町家が用意した答えはまことに単純。「そこを植物で埋め尽くせ」。</p>
<h4>都市のなかの植物群</h4>
<p>なんて安直なんだ、と笑われるかもしれませんね。<br />
じつはぼくも最初、「植物なんていうのは逃げなんじゃないか」と気乗り薄でした。ところがよく考えてみれば、これはそうでもない。<br />
問題は「都市の自然」をどう考えるか、です。意外にも都市には自然が多い。そこにはミツバチが飛び交いタンポポが群生する、濃密な自然があるのです。（銀座のビルの屋上で養蜂し、ハチ蜜を採集している、なんていうのはその代表例でしょう。）ただ、その自然は郊外住宅の庭のようなまとまりはなくて、いわばスキマ化（路地化）している。だからあまり意識化されないのですが、そういった細切れの自然をつなぎ加速することが、家を開くための最初の一歩になるでしょう。<br />
現代町家のスタート時（ちょうど上で見ていただいた「町家の連続平面図」をつくったころですが）、家が建った後に残る空地をどう建築化すべきか、議論を重ねました。造園家の田瀬理夫さんにお会いしたのも、このころです。<br />
田瀬さんは当時、都市に残されたスキマの緑化に取り組んでいたのですが、そのやり方を見て驚きました。植物が立体化されている！<br />
わずか１メートル幅くらいの路地状の空地が植物で立体化され、空中に葉叢が生い茂る、そのシーンは圧倒的でした。<br />
もしもこういうやり方でスキマの緑化を個々の家に埋め込めば、同時多発的に都市全体の自然が加速するのではないか。そう思わせるだけの力がそこにはありました。</p>
<p>さてしかし、現代町家という家づくりの方法に田瀬さんの力をどう重ね合わせたらよいか。<br />
ただ「庭」をつくるというだけでは、ここで考えている「町家」になりません。庭が「建築的な装置」として、窓や屋根とおなじような働きをする必要があります。<br />
たとえば江戸期の町家は「坪庭」という優れた装置をもっていました。個々の家にとっては通風と採光のための小さな庭ですが、町全体にとっては坪庭がつながりあって上昇気流を発生させるという、まさにあれは都市建築的な装置です。あれに代わる何かをいまつくるとしたら？<br />
「『一坪里山』というのはどうだろう」<br />
そう言いだしたのは小池一三さんでした。<br />
「たとえ一坪でもいいから、一軒一軒の家が里山をもつ仕組みをつくったら面白い。いつかそれがつながって町の風景が変わるんじゃないか。」<br />
なるほどと思ったのは、それまでにぼくらは里山について、造園家の田瀬理夫さんから何度かレクチャーを受けていたからです。</p>
<p>「里山」を実体験するために、ぼくらは田瀬さんに連れられて博多近辺の沢筋をさかのぼったりしたこともあって、すでにいくぶんかの知識は得ていました。<br />
山道を歩きながらのレクチャーというのは、なかなか粋なものです。<br />
‥‥‥植生には地域差があるから、それを乱してはいけない‥‥‥都市の公園みたいな単調な植物相をつくってはだめだ、多種混生がよい‥‥‥在来種が多種混生する草地の景色は明るい黄緑色で、それが日本の原風景だ‥‥‥。<br />
いろんな話しを聞いたのですが、なかでもとくに印象的だったのは、田瀬さんが「里山の植物を都市に運ぶ」という一種の運動をしていたことです。小池さんが「一坪里山」と言ったのは、それをふまえたものでした。つまり、背後の里山と家庭の庭を、地域に自生する植物でつなぐ。<br />
事態はそのころ急速な勢いで動き始めています。大分と博多で現代町家のモデル建設が進み、もはや終盤にさしかかっていました。急いで田瀬さんに九州へ飛んでいただいて、具体的な里山計画がスタートしました。<br />
大分、博多、広島と、田瀬さんとの共同作業がつづいて、「一坪里山」を町と家のつなぎめに埋込む作業はいまも継続中です。息の長い作業になりそうですが、設計者としていまの時点で気がついていることを以下にランダムに列記しておきましょう。</p>
<ol class="list">
<li><strong>境界を閉ざさないほうがよい</strong><br />
<div id="attachment_1150" class="wp-caption aligncenter" style="width: 400px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2011/10/sono3_1.jpg" alt="安芸町家の一坪里山" title="安芸町家の一坪里山" width="390" height="260" class="size-full wp-image-1150" /><p class="wp-caption-text">安芸町家</p></div></p>
<div id="attachment_1131" class="wp-caption aligncenter" style="width: 400px">
<img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2011/10/sono3_3.jpg" alt="安芸町家の一坪里山" title="安芸町家の一坪里山" width="390" height="260" class="size-full wp-image-1158" />
<p class="wp-caption-text">安芸町家</p>
</div>
<p>実際にやってみると、「一坪里山」というのはこれまでの「坪庭」や「中庭」というのはかなり性格がちがうようです。<br />
坪庭や中庭は「閉ざす」ことで自然を切り取って、いわば自然を私有するわけですが、一坪里山はむしろ境界が開いたままの状態のほうが生き生きする。個人の庭というよりも、町が家に食い込んだみたいな、それ自体が町の風景だ、というくらいのスキマ感（原っぱ感）が必要だと思いました。</li>
<li><strong>地域の自生種を入手するのはかなり難しい</strong><br />
これもまたやってみて初めて気がついたことでした。地域の自生種とはいうものの、たとえばこれをその地域の園芸屋から入手するのは現状では不可能に近いのです。産地の識別ができないという、なんだか木材の世界とおなじことが植物の世界でも起きています。<br />
田瀬さんの場合は茨城をはじめ全国に四カ所の協力拠点をもっていて、現代町家ではそのネットワークの力を借りられるのですが、これをだれもが出来るようにするのはかなりたいへんです。ただし、その「里山と都市を植物でつなぐ」という作業そのものを「住民運動」にしてしまう可能性は大いにありそうです。
</li>
<li>
<strong>都市の里山は「無主」の風景をつくる</strong><br />
<div id="attachment_1153" class="wp-caption aligncenter" style="width: 400px"><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2011/10/sono3_2.jpg" alt="府内町家の一坪里山" title="府内町家の一坪里山" width="390" height="293" class="size-full wp-image-1153" /><p class="wp-caption-text">府内町家</p></div>都市の空地（路地、庭、スキマ）というのは、たとえそれが個人の私有地であっても、道をいく人にとってはある種の「無主の場所」として感じられるのではないか。都市のなかに里山が広がるシーンを想像しているとそんなことを思います。<br />
「庭」という考え方を捨てて、むしろそれを「里山」と考えれば、たしかにそれは「だれかのもの」なのだけれど、でも「だれのものでもなさそうに見える」という都市の風景の本質にまっすぐつながっていくように思えます。
</li>
</ol>
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		</item>
		<item>
		<title>その2 -よきことはみな外から来る</title>
		<link>http://gendaimachiya.jp/2011/08/fight02/</link>
		<comments>http://gendaimachiya.jp/2011/08/fight02/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 03 Aug 2011 06:55:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[建築家 趙海光の「現代町家ファイティング日誌」]]></category>

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		<description><![CDATA[木造にたいしてイームズを、町家にたいしてプロダクトを、一見したところ正反対のものを置いてみる、というのが起点です。
そのせいか、ぼくにはいま「町家」も「木造」もなんだか古い着物を脱ぎ去ったような、とても新鮮なものに思えているのですが、ではその起点は町並みや風景とどんなふうに関係してくるのか。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>前回は「現代町家の起点」の話でした。<br />
木造にたいしてイームズを、町家にたいしてプロダクトを、一見したところ正反対のものを置いてみる、というのがその起点です。<br />
そのせいか、ぼくにはいま「町家」も「木造」もなんだか古い着物を脱ぎ去ったような、とても新鮮なものに思えているのですが、ではその起点は町並みや風景とどんなふうに関係してくるのか。<br />
あのあと、原稿はこんなふうに続いてゆきます。</p>
<div class="column">
<div style="text-align: right; font-size: 90%; font-weight: bold;">（アーハウスno9　2010年7月）</div>
<p>イームズと町家、町家とプロダクト、なにやらヘンな取り合わせですけれど、物ごとが動くときというのはこういうものなのかもしれません。私の案は名古屋市近郊の犬山でさっそく実施されることになり、現代町家の第一号「尾張町家」が小池さんと出会って一年も経たないうちに誕生してしまいました。<br />
その後、現代町家は思いがけない広がりを見せます。小池さんのプログラムでは完成した尾張町家の現場で「塾」を開くことになっていました。その塾に50人を超える参加者が集まったのです。建物を実際に見ながらその場で尾張町家のコスト、設計法、パーツ、性能が検討され、そこでの議論から現代町家の運動が博多、大分、広島、高松と、各地に飛び火していきました。</p>
<p><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2011/08/inuyama1.jpg" alt="現代町家塾 犬山1" title="現代町家塾 犬山1" width="350" height="233" class="aligncenter size-full wp-image-1106" /></p>
<p><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2011/08/inuyama2.jpg" alt="現代町家塾 犬山2" title="現代町家塾 犬山2" width="350" height="233" class="aligncenter size-full wp-image-1107" /></p>
<p>ところでこの塾に参加した工務店の皆さんの目に、尾張町家という建物はどう映ったのか。でき上がったのは<span class="noteLink1">ベースとゲヤ</span>で構成された箱に片流れの屋根が乗っているだけの、シンプルな家です。「町家をイメージさせる」というよりも、むしろ「工務店が取り組むプロダクト住宅としてイケルんじゃないか」というのが大方の意見でした。おそらくコンパクトなエコカーみたいな家として受けとめられたのでしょう（総額で２千万くらいの価格設定でした）。<br />
さて、これを地域ごとにどんな町家に育てていくべきか、塾ではいろんな議論が交わされました。ただし現代町家は理念先行というより実戦型ですから、先に答えを出すのではなく、つくりながら答えを見つけていかなくてはなりません。すでに高松では讃岐町家が、大分では府内町家が始まっています。同じ設計法のなかから地域ごとに異なる町家を生むにはどうするか、各地域を飛び回るうちに、求める答えはどうも「建築の外側」にありそうだと私は考えるようになりました。<br />
きっかけは大分で「湯布珪藻土」を見たことです。それは大分の工務店が現代町家を実施するために見つけてきた淡水産の珪藻土で、湯布地域の湖跡から掘り出すらしいのですが、輝度が高く、深みのある白い色をしていました。その微妙に変化する白い固まりを眺めていて、ぼんやりと思ったのです。地域性というのはかたちではなくて、地域ごとに変化する素材の色なんじゃないか。<br />
「町家」を私は建築の論理で、設計のことばだけで考えていました。でも町家を成立させていたのは、当然のことながら建築を包んで広がる外側の世界、素材と、それを扱う職方や生産者がつくる広大な世の中なのでした。<br />
いま湯布珪藻土は製品化を進めている段階ですが、そこには産地のひとも施行を担う職方も参加しています。同じことが島根県の出雲市ではスギの若齢木を重ね梁にするかたちで進行しています。<br />
これらはみな、小池さんが「地域の自生種を探してそれを育てる」ことを各地の塾で提案したことから生まれたものです。</p>
<p>イームズと町家を強引につなげた結果がこういう展開になるとは夢にも思いませんでした。当初、「町家」は私にとって単に設計のためのことばだったのです。でも各地の工務店と協同するうちに、町家という考え方が協同のための「決めごと」に変化していき、たとえば「地域の自生種を探し出す」ことや「ベースとゲヤから生まれる空地を町並みに生かす」という、現代町家の基本ルールに生まれ変わりました。おそらくそうなった背景には、スタンダードな家というのは単品ではなくて、町のつくる風景との関係抜きには成立しないという思いがみんなにあって、それが協同を進めていくなかで育ったためなのだと思います。<br />
ところで言い忘れましたが、各地で現代町家の塾を連続的に開いていくなかで、大きな出来事がふたつ起きました。ひとつは「博多現代町家」が2009年度のグッドデザイン賞を受けたこと、もうひとつは現代町家の外構に田瀬理夫さんの参加を得たことです。</p>
<p><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2011/08/hakatamachiya.jpg" alt="博多町家" title="博多町家" width="350" height="233" class="aligncenter size-full wp-image-1109" /></p>
<p>田瀬さんは都市のまっただ中のビルを森に変貌させた「アクロス福岡」の仕事で有名ですが、その本当の狙いは在来自生植物の復活にあります。現代町家ではそれが「一坪里山」という提案につながりました。２メートル平方程度のカセット型の庭を個々の家に組み込んでそこに地域の在来植物を育てようというもので、これはいま家と町並みをつなぐための現代町家の基本ルールのひとつになっています。</p>
</div>
<p>うーん、我ながら、なんか紋切り型ですね。お恥ずかしいかぎりですが、でもぼくがここで言いたがっているのはこういうことです。<br />
つまり「一軒の家をつくることが同時にそのまま家のソトをつくることにつながる」、そういうつくり方をしたい。</p>
<p>そのためにいま現代町家で試していることを、ぼくは上の文中でふたつ上げています。ひとつは「ベースとゲヤの配置から生まれる空地を町並みに生かすこと」、もうひとつは「地域の自生植物を育てる小さな庭（一坪里山）をもつこと」。</p>
<p><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2011/08/satoyama2.jpg" alt="ベースとゲヤの配置から生まれる空地を町並みに生かすこと" title="ベースとゲヤの配置から生まれる空地を町並みに生かすこと" width="299" height="430" class="aligncenter size-full wp-image-1093" /></p>
<p><img src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2011/08/satoyama1.jpg" alt="「地域の自生植物を育てる小さな庭（一坪里山）をもつこと" title="「地域の自生植物を育てる小さな庭（一坪里山）をもつこと" width="450" height="299" class="aligncenter size-full wp-image-1094" /></p>
<p>ベース（母屋）とゲヤ（下屋）のずれから生まれる凹み、そしてカセットタイプの草庭、どちらも家のウチとソトとの境界面に生まれる小さな自然を指しています。その小さな自然を、床や壁と同等の「建築的な部品」として家に盛り込んだらどうかとぼくは言っているのですが、このやり方の正否は実例で検証するしかありません。<br />
いま現代町家では、家のウチとソトの境界面に<span class="noteLink2">「軒先から吊り下げるデッキ」</span>や<span class="noteLink3">「大きな木の窓」</span>を置いて、小さな自然の建築化に励んでいます。これから先、このファイテイング日誌でもいくつかの例をみなさんに見ていただくつもりですけれど、ただ、これまでのトライアルでわかってきたのは、そういった「小さな自然」に対してもまた「半製品化」というプロダクトの考え方が有効らしい、ということです。<br />
誰かが半ばつくり置きしたものを次々にリレーしていくのがよい。オリジナリテイー、個人の独創性というのはこの場合かえっておもしろくないのではないか。論証抜きに、いまはそういっておきましょう。</p>
<p>そういえば、家のウチとソトについて、とても美しい言葉があったのを思い出しました。「よきことはみな外から来る」というのです。<br />
「よきこと」ではなくて「よきもの」だったかもしれません。正確な言葉使いがどうだったか、もうよく思い出せないのですが、これは建築家の伊礼智さんの発言で、たしか屏風（ヒンプン）という沖縄地方特有の「目隠しであり、魔よけであり、風よけでもある」低い塀についての言葉でした。<br />
なぜ屏風（ひんぷん）を自分は使うか。ウロ覚えですが伊礼さんはこんなことを言っていたと思います。<br />
‥‥‥沖縄地方の古い言い伝えに「よきことはみな外から来る」という言葉があること、自分はその言葉に惹かれること、外の世界にたいして、拒否ばかりでもなく受け入れるだけでもなく、「緩やかに外と繋がったり、やんわり拒絶しながら」、外を招き入れるようにして住宅をつくりたい‥‥‥。（ウロ覚えですので間違えていたらゴメンなさい）</p>
<div class="wp-caption aligncenter" style="width: 310px"><a href="http://www.bionet.jp/2009/01/sketch002/"><img src="http://www.bionet.jp/wp-content/uploads/2009/01/sketch002_05.jpg" alt="屏風（ヒンプン）。住まいネット新聞びお伊礼智の実測スケッチより" title="屏風（ヒンプン）。住まいネット新聞びお伊礼智の実測スケッチより" width="300" /></a><p class="wp-caption-text">屏風（ヒンプン）。住まいネット新聞びお「伊礼智の実測スケッチ」より</p></div>
<p>ぼくはこの言葉に賛成です。住宅はソトを招き入れる建築的仕掛けをもういちど一からつくり直すべきだと思います。<br />
考えてみればこの40年間、建築家の家にたいする努力は「ウチ向き」でした。40年前といえば1970年代のことで、そのころ<span class="noteLink4">「都市住宅」</span>という言葉が日本に初めて出現するのですが、それらの住宅は「外側はみな汚い」という考え方に貫かれています。ウチ側に私的な世界を築くことに努力が注がれました。でもそのことがソトを置き去りにしてしまったことに、いまようやくぼくらは気づき始めています。<br />
「置き去りにした」とはつまり、家のウチ側には劇的なプライベート空間が生まれたけれど、家のソト側のほうは、道路とか公園とか、一気に抽象的で手の届かないパブリック空間にされて意識から外れてしまったということです。</p>
<p>おそらく「よきことはみな外から来る」という言葉が教えているのは、プライベートとパブリックの中間領域に、「よきこと」を受け止めるための、もうひとつ別のタイプの空間がある、ということでしょう。<br />
家のウチとソトとの境界面に発生するこの柔らかい泡のような空間には、まだ呼び名がありません。それを何と呼べばよいのか？<br />
たとえばスイスの建築家ピーター・ズントーはそれをとてもシンプルに「庭」と呼んでいます。<br />
そのことをぼくはある動画サイトに投稿された彼の講演会記録を見て知ったのですが、長くなりますので、この話しはまた次回に。</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>新コーナー「現代町家ファイティング日誌」を開始しました。</title>
		<link>http://gendaimachiya.jp/2011/07/%e6%96%b0%e3%82%b3%e3%83%bc%e3%83%8a%e3%83%bc%e3%80%8c%e7%8f%be%e4%bb%a3%e7%94%ba%e5%ae%b6%e3%83%95%e3%82%a1%e3%82%a4%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%b3%e3%82%b0%e6%97%a5%e8%aa%8c%e3%80%8d%e3%82%92%e9%96%8b/</link>
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		<pubDate>Wed, 27 Jul 2011 00:10:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュース]]></category>

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		<description><![CDATA[現代町家のシステム考案者である建築家・趙海光氏による「現代町家ファイティング日誌」を開始しました。 現代町家がどのように生まれ、現場がうごき、変化していっているかをつぶさにレポートします。 現代町家の今とこれからがわかります。お楽しみに！ http://gendaimachiya.jp/category/travelog-cho/]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>現代町家のシステム考案者である建築家・趙海光氏による「現代町家ファイティング日誌」を開始しました。<br />
現代町家がどのように生まれ、現場がうごき、変化していっているかをつぶさにレポートします。</p>
<p>現代町家の今とこれからがわかります。お楽しみに！</p>
<p><a href="http://gendaimachiya.jp/category/travelog-cho/" title="現代町家ファイティング日誌">http://gendaimachiya.jp/category/travelog-cho/<br />
</a></p>
]]></content:encoded>
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		<title>その1 -町家とプロダクト</title>
		<link>http://gendaimachiya.jp/2011/07/fight01/</link>
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		<pubDate>Wed, 27 Jul 2011 00:00:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[建築家 趙海光の「現代町家ファイティング日誌」]]></category>

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		<description><![CDATA[これからはじめようというのはいわばレポートです。
現代町家の現場はいまどんなふうに動いているか、どこでなにをやり、どんな工夫が生まれ、自分はいまなにを考えているか、そういったことをみなさんに生のレポートのかたちでお伝えしたい。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>みなさんこんにちは。現代町家の趙（ちょう）です。このたび「ファイテイング日誌」なるものをはじめることになりましたので、ちょっと開始のご挨拶を。</p>
<h4>現代町家をレポートする</h4>
<p>さて、これからはじめようというのはいわばレポートです。<br />
現代町家の現場はいまどんなふうに動いているか、どこでなにをやり、どんな工夫が生まれ、自分はいまなにを考えているか、そういったことをみなさんに生のレポートのかたちでお伝えしたい。<br />
ご存知のように現場というのは闘技場みたいなものです。ヘタな考えや甘っちょろい提案なんぞは、ヤスリにかけられてすぐにボロボロになる。「現代町家」もおなじです。これまで提案した考えのうち、あるものは拒否され、あるものは蹴飛ばされてどこかに消えました。<br />
でもむろん、生き延びたものもあるのです。たとえば「半製品」という考え方。これは意外なタフさで現場のヤスリに耐えました。<br />
半製品というのは「過度に凝り固まった既製品をもういちど素材に戻して使う」という、現代の工業生産力の方向を変えた使い方のことなのですが、それについてはまたおいおい説明していくことにして、まず一回目の今日は「現代町家の生い立ち」から話し始めることにしましょう。</p>
<h4>現代町家の生い立ち</h4>
<p>現代町家はどんなふうにして始まったのか。<br />
じつは一年ほどまえにおなじような質問をある雑誌社から受けました。「アーハウス」というとてもハイブローな雑誌で、青森を拠点にする文化誌です。<br />
編集部からの依頼はこう。「現代町家というのは町並みと風景を考えるそうだが、具体的にはどういうものなのか、そのはじまりから教えてほしい。」<br />
リクエストに答えてぼくはこんな原稿を書きました。</p>
<div class="column">
<div style="text-align: right; font-size: 90%; font-weight: bold;">（アーハウスno９　2010年7月）</div>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-1062" title="アーハウスno９　2010年7月" src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2011/07/ahaus1.jpg" alt="アーハウスno９　2010年7月" width="350" height="267" /></p>
<h4>町家とプロダクト</h4>
<p>いま「現代町家」という仕事をしています。日本の各地の工務店と協同で進めているもので、でき上がった家には「博多町家」とか「長州町家」とか、それぞれの地名をつけているのですが、これは木造のスタンダードな家（つまり現代の町家）を地域の事情に合わせて個別につくっていこう、という考えからきたものでした。<br />
派手ではないけれどシンプルで、かつ手頃な価格で入手できるスタンダードな家、というのは建築を志す者が共通して持つ夢らしく、これまでにも多くの建築家たちが挑戦しています。古くはル・コルビュジェのシトロエンハウス、フランク・ロイド・ライトのユーソニアンハウス、日本では増沢洵の最小限住居と、数え上げたら切りがありません。ただ私の場合は、そういった輝かしい先例の後を追うというよりももう少し個人的な事情が先にありました。発端は小池一三さんに出会ったことです。<br />
小池さんはOMソーラーを世に広めたひとで、いまは「町の工務店ネット」を組織してスタンダード住宅の運動に取り組んでいます。その小池さんが、「木造でイームズみたいな家をやりませんか」と私に勧めてくれたのがことの始まりでした。</p>
<div id="attachment_1075" class="wp-caption aligncenter" style="width: 360px"><img class="size-full wp-image-1075" title="イームズの自邸は鉄骨造" src="http://gendaimachiya.jp/wp-content/uploads/2011/07/eames.jpg" alt="イームズの自邸は鉄骨造" width="350" height="355" />
<p style="text-align:left"><span class="noteLink1">イームズ自邸</span>の工事現場写真。組み立て中の鉄骨のうえでイームズ夫妻がダンスしている。</p>
</div>
<p>イームズは家具デザインで知られていますが、彼の自邸は鉄骨造で、その部品はすべて既成の工業製品だけ、という大胆なものです。ああいう感じを木造でやったらどうか、というのには大いに気をそそられました。しかもそこにとどまらず、工務店と組んでそれをスタンダード化するという緻密な戦略を小池さんは考えていました。<br />
小池さんの提案は魅力的です。しかしよく考えてみれば、これはすでに、過去に何度も試されたやり方なのでした。<br />
木造の部品化というのはスタンダードな住宅を考えるときに誰もがやる方法なのです。だから、いまあえてそれをやるとしたら「モデル」を変える必要があります。<br />
つまり、部品化を工業化とは別のモデルに置き換えてみる。これまで部品化木造といえば工業化住宅というプレハブ的なイメージが強いのですが、その原イメージを「町家」に置き換えたらどうか‥‥‥考えてみれば、かつての町家もまた多くの職方に支えられた部品化木造なのでした。<br />
そこでまとめたのがこんな案です。まず家の基本シェルターを６メートル立方に絞ってこれを「ベース」とし、在来工法で木造モノコックボデイをつくる。次に、インフィルにはかつての町家がもっていた土間とか軒下といった空間装置を取り入れてこれを「ゲヤ」とする。<br />
つまり「６メートル角の素の箱」に「町家型部品」を組み込んで「ベース＋ゲヤの入れ子」にしたものを考えたわけですが、当然のように小池さんから質問がきました。「町家型部品」って何だ？<br />
私の頭には「物干箱」だの「光土間」だの「カセット坪庭」だのという奇妙なことばが浮かんでいました。部品の単位をすこし大きくとらえて、場面をつくるようなパーツができないか。<br />
手づくりにはこだわらずむしろ工業製品を積極的に使おうと考えていました。ただしなるべく製品化の進んでいない素材に近い状態のものを選び、それを加工して組み合わせる。たぶんそれは、過去の町家がもっていた建築的工夫を、イームズのようにプロダクト的なやり方でつくろう、といったイメージだったと思います。</p>
</div>
<h4>家の原イメージを変えよう</h4>
<p>原稿はまだまだ続くのですが、初回からあまり長くなってもいけません。ここから先は次回にまわすとして、ポイントだけ整理しておきましょう。<br />
ここまでの文章でぼくは「家の原イメージを変えよう」といっています。<br />
町家を過去のものと考えてはいけない。町家というのはかつてのプロダクト住宅なのであって、そのプロダクトの仕組みはいまのものよりも柔軟だし魅力的だ。だからその「かたち」ではなくて「つくり方」のモデルとして、町家を現代の家の原イメージに据え直そう。<br />
これは後で気がついたのですが、建築家の塚本由晴さんもおなじようなことをいっています。つまり「狭小住宅というのはもう止めにして、都市のなかの住宅はみな町家と呼ぶようにしたらどうか。」<br />
塚本さんは「２０世紀以来の住宅が自由を求めてその果てに自壊させてしまったもの」についての反省を語っています（住宅特集2011年2月号）。「自壊」という言葉をつかっているところに注目してください。建築にたずさわるものが自ら壊したのだと塚本さんはいっているのです。彼の場合「町家」という呼び方には、家というものの「壊れ」の自覚と復活への思いが込められているのでしょう。</p>
<p>たしかに現代の家にはどこか「壊れた」印象がある。どこにいってもおなじ家が建っているという底の知れない不気味さ。これはたぶん「かたちがおなじ」だからではないのです。そうではなくて、おなじ素材おなじ部品をなんの工夫もなく繰り返し使わせてしまうそのプロダクトの仕組みの不気味さです。<br />
かつての町並みはおなじ素材、おなじ構法で家がつくられながら、かえってそれが町の魅力を生んでいたのですが、現代ではそれが逆に底の知れない不気味さを生んでしまう。<br />
だとしたら問題はやはりプロダクトの仕組みにあるでしょう。先に述べた「半製品」という考え方はそこに風穴をあけようという提案でもあるのです。</p>
<p>さて初回からすこし長くなってしまいました。<br />
これから現代町家をめぐるファイテイング日誌をみなさんにお届けしてゆきます。ときには数行、ときには長文、気の向くままに綴っていく、いささか我がままな日誌になりそうですが、どうぞ次回をお楽しみに。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>7月6日(水)現代町家勉強会の生中継を行います。</title>
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		<pubDate>Tue, 05 Jul 2011 20:44:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[ニュース]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://gendaimachiya.jp/?p=1052</guid>
		<description><![CDATA[7月6日に東京で行われる現代町家勉強会の一部を、Ustreamで生中継します。 番組アドレス http://www.ustream.tv/channel/biosumainews 中継は、冒頭の趙海光さんの話、30分程度の予定です。 お時間の許す方は、ぜひご覧ください。 7月6日(水) 13:30過ぎから生中継です。 ※携帯電話網での接続となるため、画質の低下や音飛び、切断などが発生する可能性があります。その際はご容赦ください。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>7月6日に東京で行われる現代町家勉強会の一部を、Ustreamで生中継します。</p>
<p>番組アドレス<br />
<a href="http://www.ustream.tv/channel/biosumainews">http://www.ustream.tv/channel/biosumainews</a></p>
<p>中継は、冒頭の趙海光さんの話、30分程度の予定です。<br />
お時間の許す方は、ぜひご覧ください。</p>
<p>7月6日(水) 13:30過ぎから生中継です。</p>
<p>※携帯電話網での接続となるため、画質の低下や音飛び、切断などが発生する可能性があります。その際はご容赦ください。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>全国「現代町家」マップに新しい名称を追加しました。</title>
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		<pubDate>Fri, 24 Jun 2011 00:57:18 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[全国「現代町家」マップに新しい名称を追加しました。 http://gendaimachiya.jp/map/]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>全国「現代町家」マップに新しい名称を追加しました。</p>
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		<title>「日本各地の現代町家」を更新しました。</title>
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		<pubDate>Thu, 09 Dec 2010 05:01:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[ギャラリーに「越後現代町家」を追加しました。 全国「現代町家」マップに新しい名称を追加しました。 http://gendaimachiya.jp/map/]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ギャラリーに「越後現代町家」を追加しました。<br />
全国「現代町家」マップに新しい名称を追加しました。</p>
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